【毒親】自身をアダルトチルドレンと認定することが苦しみから抜け出す第一歩
両親との関係
ハチドリは、ハチドリの両親とはあまり友好な関係を持つことができませんでした。ハチドリの両親は、下記のことを認めたがりません。所謂「毒親」です。幼少期は、「殴っているこちらの拳だって痛いんだ」と言われながら、頭を殴られたり、正座を長い間させられたり、外に放りだされたり。「グズ、バカ」「扶養家族のくせに」と言われながら育ちました。
それは、高校に入り私も暴力を振るえるようになるまで、続きました。
では、ハチドリは愛されていなかったんだね?と言われるとそれは違います。
愛されています。ハチドリは、両親のおかげで大学卒業できていますし、
今まで金銭的に助けてもらったことも何度もありますし、感謝しなければならないことはたくさんあります。
ハチドリの面倒をよくみてくれた叔父に話しても、「いや違う。おまえは愛されているぞ。お前が一歩ひきなさい。もっと感謝しなさい」と、呪文を唱えます。
良い結果を出せば褒められるけれど、悪い結果を出したり、両親の意向にそぐわないことがあれば批判されたり、けなされる。
という、常に条件付きなのです。ハチドリが仕事で成功するまで、私が信じていること取り組んでいることは、基本的に批判されてきました。
それは、病気になった29歳の今でも変わりません。大なり小なり。それが、正論だったり、”余計なお世話”であっても。
「浪費してばっかり。しっかり後のことを考えなさい。」
「ハチドリ夫ちゃんを愛しているのなら、もっと精神的に自立しなさい。」
「もっと身体を大切にしなさい。」
がんを宣告されたその日に親友Mちゃんと、夜遅くまで長電話した時には
「他人に迷惑をかけるのはやめなさい。」
「もっと広い家にすみなさい。」
「ちゃんと、ご飯を作りなさい。」
「親に感謝の気持ちを持ちなさい。」
「親のいうことはたまには聞きなさい。」
悩んだ末に気づいたこと
ハチドリは、高校卒業とともに親元から離れ、大学卒業後は経済的に自立をしていますが、心の自立は、できていないことに、今日気づきました。上記を、会うたびに言われることで、「個としてのハチドリ」対「個としての両親」ではなく、「親とこども」といった、ロールプレイを、ハチドリが大人になった今でも繰り返すのです。
そこには、両親のハチドリへの個としての尊敬はなくそして、ハチドリが個として扱われないことに対する不満からハチドリの両親への尊敬も薄れていくのです。
ずっと、ハチドリは「自慢のムスメだね」と、褒めて欲しかったんだと思います。
そのために、ムキになって頑張ってきたこともあったなぁと思います。 自分の、状況を調べていくうちに、「アダルトチルドレン」という言葉を知り、自分が当てはまることに気づきました。
アダルトチルドレンを克服するために
これからは、両親からの承認欲求を満たそうとしないことです。ハチドリは、両親に理解をしてもらおうといった期待を持つことをやめるべきです そして、肉親だから、話せばきっと分かり合えるという姿勢を持つこともやめるべきです。
期待を持って挑み、結果はいつも同じなのでハチドリもヒステリックになり、必要以上に攻撃したことがたくさんありました。
これがまたさらに、ひどい悪循環をうみます。
「両親に期待をしない」
これは私にとって、両親に対する諦め、私の両親に対する、尊敬や愛情の欠如に繋がるのではと、とても恐れていました。
しかし、「大人とこども」のロールプレイはもう私にとって負担でしかないのです。