はちどりわ〜るど

それでも自分の人生に満足してるその辺によくいる外資系会社員 20代にてガン宣告。手術・抗がん剤を経て「若年性がんサバイバー」1年生。/ 「毒親サバイバー」/「性暴力サバイバー」/準ミニマリスト/日々色々勉強中 ブログで自分の幸せ&社会の幸せを考えながら生きるヒントを綴ります

元がん患者が「自分が死んでも世界に影響なんて全くないし。」と考える理由

こんにちわ。お久しぶりです! ハチドリちゃんです。 

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死は平等に訪れるといっても、なかなか自分の身に起こるとなると受け入れることが出来ません。

去年身辺整理を考えた私ですが、今も出来ていないかもしれない。

  

実は、私の場合、死への恐怖からなるべく逃れるために、この記事の題名にもある、

「自分が死んでもこの世界に影響なんて全くない。」と考える事で、

死への恐怖から少し逃れることが出来ています。

 

その理由を本日は少しお話したいと思います。

 

ガン宣告をうけた時、外は晴れていてとても綺麗な空でした。

しかし、景色は灰色にみえました。アパートの窓の外から見る人達と私はどこか違う。

手術までのほぼ一ヶ月は、検査を受けながら会社に通いました。

同僚の取り留めのない会話や、愚痴、仕事場の電話を聞きながら、

物凄く辛い現実に気づきました。

 

「そうか、私がこの世から消え去っても、私なんていなくても、世界、この社会は回るんだ。」

 

そんなことは、ずっと前から知っていたし、

私がいなくなっても会社だから、私の代わりは山ほどいるということは知っていたけど、

 

なるほどつまりこういうことなんだ。

 

本当に、本当に、影響ないんだ。

 

仕事に復帰してしばらくした私の身体を心配してきた、一人の知り合いと話す機会がありました。

 

ふと、この「私が死んでも周りに影響は全くないし。」ということを話しました。

 

すると、「なぜ、そんな捻くれた考え方をしているの?すごく悲しい考え方だよ。」

とすごく怒って話すので、議論をしばらく続けました。

 

 

私は、最終的に泣きながら話しました。

 

「私はね、自分が死ぬかもしれないって思った時に、

自分のことばかりで頭がいっぱいになった。

私が抱えている悩みに比べると、

他人の悩みなんてすごくちっぽけで馬鹿らしく見えた。

人の悩みがつまらなく感じて、悩んでいる人を見下したし、

人の事がとても嫌いになった。

そのせいで、人と話すこともしばらく辞めたよ。

 

私は、自分のことで存分に悲しんだ。今も悲しい時には、存分に悲しんでいる。

臓器を大きく失って、合併症のリスクが人よりあるという爆弾を抱えていて、

またいつか私に、恐ろしく苦しむ時がくるかもしれないって考えると、

恐怖で頭がいっぱいになる。

 

でもね、そうやって自分のことばかり考えていると余計悲しいし、

苦しいことに気づいたんだ。

 

だから、社会に目を向ける。会社の問題に目を向ける。

夫の身体のことに目を向ける。人の悩みを聞いてあげる。

 

私の抱えている悩みなんて、この世の中での悩みに比べたら、

世界で起こっている社会問題に比べたら、

取るに足らないちっぽけなことだって考える。

そうすることで、私は私が持っている恐怖に勝てるんだよ。」

 

私に怒ったその知り合いは、大事な人をガンで無くしていたということを知りました。

 

「大切な人がこの世を去ってから3年経った現在も、その人のことを考えて辛いんだ。

自分が死んでも周りに影響しないなんて思わないで欲しいって、

最初は怒っていたけど、

今は、ハチドリちゃんがどうしてそんな風に考えていたのか分かる。」

 

と泣きながら語ってくれました。

 

私もなぜ彼女が怒っていたのか理解できました。

 

彼女は「大切な人を亡くして辛い」という問題を今も解決していない。

死ぬまで解決することはない。

 

私も、一生解決出来ない問題を抱えている。

皆、一生解決しない問題を抱えて生きている。

 

でも、死ぬということ自体は、問題を抱え続けるこの世の中に比べたら、

きっとちっぽけ。

 

私がいなくなっても、社会は周り続ける。

そして、私のことはきっといつか皆忘れ去る。

私が死んでも、世界には影響なんてない。 

 

だからって自暴自棄に死を選択するのではなくて、生きたい。

そして生きている間は、色々な人と笑いあって、この世の美しいものを沢山見て

困っている人がいたら微力だとしても、手を差し伸べ続けたい。

 *1

 

そしたら、きっとその困っている人が、助ける側に回った時に誰かを助けてあげることが出来るから。

 

私という存在や、この”はちどりわ〜るど”がいつか消えても、

困っている人がいたら手を差し伸べるという

私達のDNAは、いつまでも消え失せたりしないんだ。

 

だから大丈夫。今日も前向こう。

 

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人生は短い。 情熱を身にまとい、 自分の夢を生きよう。

私はがんに感謝なんてするつもりなんてないし、あなたも感謝なんてしたくないならしなくていい。 

 

*1:※ちなみにこのような考え方を、”能動的ニヒリズム”というようです。