はちどりわ〜るど

それでも自分の人生に満足してるその辺によくいる外資系会社員 20代にてガン宣告。手術・抗がん剤を経て「若年性がんサバイバー」1年生。/ 「毒親サバイバー」/「性暴力サバイバー」/準ミニマリスト/日々色々勉強中 ブログで自分の幸せ&社会の幸せを考えながら生きるヒントを綴ります

「助ける側も助けられる側も、人は皆孤独」- 元若年性がん患者が、病院のベッドから垣間見た世界

こんにちわ!ハチドリちゃんです。

私は、元若年性がん患者です。 

 

f:id:Hachidori:20170730045009j:image

 

前回のブログで「困っている人がいたら微力でも手を差し伸べ続けたい。」

って話しました。

 

でも、私は”この人を助ける”ということの、

怖さを同時に知っています。

”見返り”を期待できないから。

 

助けが欲しい時に、結構皆は助けてくれないし、そこに残るのは

自分ばかりが消耗された気持ちと、裏切られた気持ちだけだから。

 

ガン宣告を受けた時、そして治療で苦しんでいた時のことを思い出します。

 

ガン宣告後、パニックになっていた私を「冷静であれ」とたしなめ、 

科学的根拠のない怪しいクリニックを勧めた父親。

 

「苦しんでいる私を見たくない。」と、痛がる私は放っておき

 

病院で”迷惑をかけている娘”の体裁を繕うためか、看護師長さんと話し込み、

 

「病院にくるのも大変なのよ。

そもそも、病気になったのは、あなたのせいでしょ!

こんなに丈夫に産んでやったのに。」

 

と八つ当たりをしながら、

私に対して、何もしてあげられないと嘆く母親を慰めながら、思いました。

 

この人達に振り回されてきた私の人生ってなんだったんだろう・・・。

 

そういえば、この人達は、私が辛い時に、

助けてくれるどころか、

いつだって私の心をボロボロにしてきた人達だった。

 

自分の幸せに、責任を持てない大きな子どもだった。

  

ガン宣告前に、”女子会”をした友人達に

自分の話を打ち明け、会いに来てほしいと話しました。

 

結局、その友人達は会いに来ませんでした。

色紙には、なぜ自分が会いに来なかったか

言い訳が書いてありました。

 

「ずっと会いたかったんだけど、なんて声をかけたら良いのか分からなかった。」

 

その色紙は捨てました。

私が、この人達に使ってきた時間って

何だったのだろうと思いました。

 

沢山の”友人”がいるフェイスブックを眺めながら思いました。

どのくらいの人達が、私の苦しさに涙してくれるんだろうか。 

 

ほとんどいないよね。

私を含めて、きっと自分のことばかりだもの。

 

3回目の手術で沢山のチューブで繋がっている時に、

事情を知っている同僚からのメール。

 

「調子はどう?」

 

臓器失って、体中が痛くて、追加治療もあって毎日、ひどい汗と悪夢で寝れない、

そういう調子だけど、

それを聞く勇気なんてないよね。

迷惑だしね。

 

そのメールは、返信せず削除しました。

 

私は、完全に他人に心を閉ざしました。

 

この世の中に助けが欲しい時に、私のように

人への体裁を考えて、助けを求められない人はどのくらいいるのでしょう。

 

予約無しで、病室まで会いにきてくれた

一人の友人がいました。

 

「予約なしなんて迷惑だ!」

と私が怒るかもしれないと考えながら、

それでも会いにきてくれました。

 

その時、私の心が少し救われました。

 

今でも私の家の近くに来てくれた時に、

私の大好きなお菓子を持ってやって来る、

私に無いものを沢山持っている友人。

 

私は、彼女が辛い時に、 彼女にとって 

苦しい時に連絡をしたいと思える人間でいれるだろうか。

 

毎日看病をする夫に

親の事で、限界を感じて当たり散らし、 

 

つまらないことに捕われて、

怒って、時間を使って

本当に大切なことや、本当に大切にすべき人を

大切にできていなかった。

 

私も両親のように、

自分の幸せに責任を持てない

大きな子どもだった。

 

私の母親みたいに、 

 

「なにも出来ることなんてないから。

何か実行したって、別に根本的なことは変わらないから」 

 

私の友人達みたいに、 

 

「助けが迷惑かもしれないから」 

 

私みたいに、

 

「どうせ、人は私の気持ちなんて

分かってくれないし、話しても迷惑だから。」 

 

人はこうやってすれ違っていく。

 

私の両親がどうして、あんな発言したのか、

分からないでもない。

母は、なにも娘にできることなんてない!って自分を責めて、その怒りを私に向けた。

父は、冷静を装っていただけで、気が動転していた。

 

今、私に声をかけるべきじゃないって判断した私の友人達の後悔の気持ちは、伝わっている。 

 

別に私のこと考えていないわけじゃなかった。

皆私の事を心配していた。

 

それを知っていながら、私は今もどこか、

心を閉じ続けている。

分かって欲しいって思うこと自体が間違っているのかな・・・。

 

苦しさと闘うのは、孤独。一人だから。

 

でも、助けられる側も、助ける側も孤独だよね。 

結局、皆一人だから。

  

助けの種類が、1から10あるとして、 

 

1だけでは解決しないというのが

分かっていて、無力感を感じたとしても、

1という助けでも、すればいい。

 

1から10までしようとするから辛いのかな。

 

だから、たった1円でも寄付すれば、

たった1分でも電話すればいいんだ。 

  

その1分の電話が、

今日ヘトヘトで出来ないのなら、今日は寝て、明日すればいいんだ。

 

助けれられる時、自分ができる範囲で。

少しでも。

でも、それだけでいい。

 

1円の寄付と1分の電話が、その人を救うことがあるから。

 

そして、その微々たる助けを差し伸べた自分に誇りを持って堂々としよう。

 

それでほんの少しだけ世界が良くなるんだと思います。

 

別に世の中を変えることなんて出来ない。

そんなこと分かってる。

でもほんのちょっとだけ良くできれば、今日はそれで良いんだと思う。

 

だから、あなたは一人じゃないよ。私も一人じゃないよ。