はちどりわ〜るど

それでも自分の人生に満足してるその辺によくいる外資系会社員 20代にてガン宣告。手術・抗がん剤を経て「若年性がんサバイバー」1年生。/ 「毒親サバイバー」/「性暴力サバイバー」/準ミニマリスト/日々色々勉強中 ブログで自分の幸せ&社会の幸せを考えながら生きるヒントを綴ります

年を取るのが怖い 老いゆくあなたへ

私のおばあちゃんは、現在86歳です。  

生涯を自分の会社を支えることに生きてきました。

本当に、大切な人を大切には出来てはこなかった人達の一人です。私の母に辛くあたり、私の母は愛に飢えました。   

自分の身体にムチを打って働いてきたけれど、去年ついに殆ど歩けなくなりました。

そして、手伝おうとしてくれる家族に、当たるようになってしまいました。

私は、おばあちゃんと電話で先日話しました。おばあちゃんは、めったに人に話すことのない辛い思いを、がん治療で「既に老いを経験した」私に話してくれました。

そんな、おばあちゃんに手紙を書きました。 

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おばあちゃんへ

今きっと色々なことを考えていると思うよ。

毎日身体が痛くて痛くて大変だね。頑張っているね。

身体の痛みが、心をどんどん支配していくよね。

そして、私はおばあちゃんの話したいこと、

苦しみ、この前の電話で気持ちは分かったと思うよ。

だって、私も老いを経験したから。

だから、私のことを少しお話させてね。

私は、がん検診を受けた時、健康そのもので、

私の夫より疲れにくくて、一般の人よりずっと身体がタフだったよ。

がんの痛みなんてなかったよ。

だから、MRIやCTが、がんがあるってことを教えてくれたから、

頭では分かっていたけど身体では分かっていなかったよ。

そして、全身麻酔が必要な手術を3回。

抗がん剤を6回乗り越えた後、私の身体はボロボロになってしまったの。

だから、たった8ヶ月であっという間に老いてしまった。

20代でがん宣告を受けて、周りの皆は元気にやっているのに、

なんでだろうって思ったよ。

なんで?に答えなんてなかった。

前向いてれば、認めてくれるんだ!って頑張ってきたのにさ。

なんか不公平じゃない?

皆幸せそうで、私のお世話をしてくれた看護師さん、

お見舞いにきてくれる、家族にまで嫉妬をしてたよ。

だって、何言われても綺麗事に聞こえたよ。元気に動けるんだもん。

私はね、便意がなくてうんち漏らしたよ。三回も。

抗がん剤中の後半も、漏らしてしまうことがあったよ。

看護師さんに身体をベッドの上で、お尻を洗ってもらったよ。

ため息つきながら、パンツ洗ったよ。

身体は管まみれで、身体には30cm以上のキズがあって、

私の髪の毛は全部抜けてしまったよ。

あんなに大事なロングヘアだったのに。

枝毛一本もない自慢の髪の毛だったよ。

私の、人間の尊厳なんて、ちっとも守られていなかった。

だって、20代のいい大人なのに、

おしりを他人にふいてもらうなんて、本当にきつかったよ。

オシャレなヒールをはいて、色々な人から認められていた

私の現実は、

排泄コントロールできなくて、弱っている人間だってこと。

 

人間の尊厳と、現実の乖離に絶望をして

何度も何度も涙をして

死にたいって思ったよ。 

 

でもね、”尊厳”という願いは、

人間の”脳・文化が作り出した”思い込み”であり幻想なの。

”この思い込みとの乖離”を直視した後は、

点滴棒にしがみつかなければ歩けなくても、

体につながれた何本もの管をつけていたとしても

気持ちだけは起き上がったよ。

 

それは、私が、どんなに不格好でも

”人間の尊厳”という思い込みとの乖離に、絶望をすることを辞めて

胸を張ろうと前進した瞬間だったよ。

 

私は、ウンチ漏らしたかもしれないけど、

私の魂は一滴も漏れてないよ、(笑)

胸を張って生きるってそういうことだと思ったよ。

 

私ね、老いるのがとても怖いよ。

◯◯を手術で取ったから、◯◯は将来的にどうなるんだろ とか

リンパを取ったから、血液の流れが将来的にどうなるんだろ とか

手術をしたから、食べ物の食べるスピードとか食べる量を調節しなきゃ とか

子どもができないから、私が老いた時に誰が側にいてくれるんだろ。って。

私が、今のハチドリ母と同じ年、60になった時、

私の身体はどうなっているんだろうって。

 

おばあちゃんは、私が60になっている時、

悲しいことだけどこの世にいないかもしれないね。

家族の誰が私を支えてくれるんだろって、怖くて怖くてしょうがないよ。

 

あまりの痛みに、殺してくれ!って叫んで、

死ぬ前に、全部自分の物とか片付けて迷惑かけないで死ぬんだって、夫に話したよ。

夫は、そんなこと言うなって泣いたんだ。

 

そしてね、こんなに過酷ながん治療だったのに、

私は世界水準の技術を持つ医師からも

100%の保証なんて受けてないんだよ。

どうしようもない恐怖があるんだ。

 

勝ち負けで考えていると、苦しいね。

私は沢山負けたから。

でもね、人間いつか最期は、負けるよ。

いつか、老い・死というものに負けてしまうね。

 

私は、死が怖いよ。とても怖い。

皆から忘れ去られるのが怖い。

 

私一人いなくなっても、世界は何事もなく回り続けるんだもの。

おばあちゃんも、死が怖いよね?

 

はっきり言うね。

 

おばあちゃんには、「他人様に迷惑かけてる!価値がない」

だなんて、思ってほしくないよ。

 

私もいつか、完全に老いてしまって、身体が動かなくなるよ、また。

きっとがん治療で味わったこの孤独と辛さを味わうんだ。

 

でも、そんな時が来た時に、

今のおばあちゃんみたいに、

自分は、他人様に迷惑かけてる!価値がないって思いたくはないよ。

 

おばあちゃんが、今そう思っているっていうことは、

かわいい孫が(私のことね 笑)動けなくなった時、

おばあちゃんは、天国で

「ハチドリよ、おまえは他人様に迷惑をかけてるから、早く天に召されなさい」

だなんて、思わないでしょう?

私に生きてほしい。

頑張って欲しいって思うでしょう?

 

だって、私のことを愛してくれているから。

 

ハチドリ母はね、おばあちゃんのことを

誰よりも愛している、

可愛い可愛いおばあちゃんの娘だと思うよ。

 

だから、苦しんでいるばあちゃんを見て、

どうしていいか分からなくて、ハチドリ母は、心を痛めているよ。

 

そして、私も心を痛めているよ。

皆、おばあちゃんには、無理をこれ以上してほしくないって思っているよ。

 

私ね、思うことがあって。

もし、子どもをね、授かっていた後、がんが見つかっていたら

私はそれでも子どもを諦めたと思うよ。

 

そんなことを言う私は、自分自身のこと恥だと思っていないし

産もうと決心するのと同じくらい、勇気あるって思うよ。

まだ生まれてもいない子どもより、

私のことが大事だって、ハチドリ夫が言ってくれたの。

 

自分を犠牲にしてまで、他人のために生きるってことは

美徳とされているけど、

執着を捨てて、自分のために生きるってことも

勇気だと思っている。

ほとんどのことは、自分の思い込みだからね。

私は、スポーツ大好きだったけど、キッパリ引退したよ。

だって、無理して、寿命縮めたら元も子もないじゃない?

 

子どもを持つことも諦めたよ。悲しいけどね。

でも、子どもに執着していたら、今私は不幸せだったろうね。

 

執着を捨てることは、諦めることじゃない。

勇気の選択だと思っている。

 

私の長い髪の毛は抜ける前に、

思い切り切って、小児がんと闘う子どものためのウィッグ団体に寄付したよ。

 

私の髪の毛は今、

抗がん剤をうけている子どものために働いているって

思うと勇気でるなぁ。

 

無駄と思うことも、無駄じゃなかったりするね。

 

今テクノロジーはすごくすごく進化しているよ。

お客さんのところ、挨拶しに行ったり会議に出たりは、出かけなくても

問題なくビデオ電話でやれるよ!

ビデオ電話だと失礼だからいや?

でも、ゼロより、1じゃない?

 

そして、今おばあちゃんがやっている仕事、

環境さえ整えたら家でも出来るよ。

寝たきりの障がいを抱えている人が、

パソコンを使ってお金を稼いでいる時代だよ。

その人とても頭いいんだ!

 

だから、大丈夫。家でも、例え一歩も動けなくなる時がきても、

仕事はやろうと思ったらいくらでも出来る時代。

 

ハチドリ弟が、テクノロジーにとても詳しいよ。

頼めば、おばあちゃんが満足いく環境喜んで絶対作ってくれる。

 

でも、無理して杖で歩いたりしていたら、

全く動けなくなってしまう日が無駄に近づいてしまうかもしれない。

だから、車椅子に頼ろうよ。

その日を1日でも伸ばそうよ。

私は車椅子好きだよ。だって、ラクじゃん!

病院でも歩けるのに頻繁に乗せてもらったよ。

 

おばあちゃんにとって一番大切なことって、お客さん?仕事?

仕事は絶対抜かせれないかもしれないけど、

 

おばあちゃんのことを忘れないでいてくれる人達のことが一番大切なのではと思うよ。

ハチドリ母は、その一人。

私もそう。

私は、「自分の価値がなくなっていく」って落ち込んでたり、

「片付けて!」って怒っているおばあちゃんをを思い出すより、

 

最期の一息まで、幸せに、

「ああ生きた。人生楽しかった」って

笑って、にこにこ笑うばあちゃんだったなあ・・って、覚えていたいよ。

 

そうすることで、これから老いていくハチドリ母、

そして、一気に老いてはしまったけど、

また盛り返して、でもいつかはまた老いてしまう私に、

老いることへの勇気を与えていくと思うよ。

あと、少なくとも30年以上はいけるでしょ?笑

 

頼むよ!可愛い孫が60になるまで、生きてね。

一緒に老いて一緒に笑おうね。

 

でも、身体が痛いと、心が蝕まれていくよね。

今は痛み専門外来といった痛みの専門家や、

入浴や身のまわりを手伝ってくれるヘルパーさんもいて、

そういう人達プロだよ。

誇りと使命感を持ってやっているんだ。

そして、そういった人達に甘えるのはちっとも恥ずかしいことじゃないよ。

私もおしりふいてもらった時に、謝ったら、

「患者さんを少しでも気持ちよく過ごしてもらうように動くのが私の仕事ですから。」って。

誇りをもってやってくれてたよ。

おばあちゃん85にもなってもまだ働いているし、

今まで人に尽くして尽くしての人生だったじゃない?

 

もう十分人に迷惑をかけず生きてきたから、

少しはそういう、”誇りを持って働いている他人”に迷惑をかける権利を履行してね。

そうじゃないと、

本当周りの人もどうやって老いたらいいのか、分からなくてプレッシャーだよ。

 

1回きりの人生だから、この後は笑って生きようよ。

笑っている姿を沢山の人に覚えてもらいたいよね。

そして、身体は痛くてもせめて、

おばあちゃんの心の痛みは取り除いてあげようよ。

 

迷惑だって思っていることのほとんどは、思い込みで

おばあちゃんの心を救えるのは、私でも、はちどり母でもない。

おばあちゃん自身だよ。

 

だから、勇気を持って、幸せになる選択をしてほしい。

 

偉そうなことをいったけど、私も今日も寝れなくてね。

疲れてもねれない時があるんだ。怖くてね。

だから、私もまだまだなの。

一緒に前向いて、一緒に老いて行こうね。

 

ハチドリちゃんより

 

オススメの記事

むだ死にしかけた元若年性がん患者が、堀江貴文さんの「むだ死にしない技術」と、はてなブログで話題の「がん治療専門医師の大場大さん」の記事を読んで、日本全国に伝えたいこと

 

死にたい・死んだほうがまし と考えたことがある、元がん患者が死生観・安楽死について話したいの。① 


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むだ死にしかけた元若年性がん患者が、堀江貴文さんの「むだ死にしない技術」と、はてなブログで話題の「がん治療専門医師の大場大さん」の記事を読んで、日本全国に伝えたいこと

元若年性がん患者の私、ハチドリちゃんは、堀江貴文さん著の「むだ死にしない技術」を読んだ後、大場大さんの下記の記事を読みました。f:id:Hachidori:20170107055348j:image

※まず、この記事は堀江さんや大場さんの批判を目的とするものではないということを、お伝えしておきます。

私は、堀江貴文さんと、がん治療の医師の大場大さんの、

世の中を良くして行こうとされる取り組みや、考え方に大いに賛同しています。

簡単に言うと私はお二人のファンです。

多くの方に尊敬されるべき方達であり、

私は、大場さんのブログを購読し、堀江さんの話されていることを聞いたりと、

少しずつではありますが、日々知見を広めようとしています。

 

大場さんは、がん治療専門の医師で、トンデモ医療・ニセ科学に懸念をされ、

科学的な根拠に基づき、がん治療に対して公平に論じられています。

 

堀江さんは、ここで改めて紹介する必要もないくらいの著名な方で、

最新のテクノロジー・経済に精通されている実業家です。

 

上記で「この記事は批判を目的とするものではない」と記載しましたが、 

 

この記事の主な目的として、元若年性がん患者である”むだ死にしかけた”

医療知識ゼロの私が、”一般の人”に対して伝えたいことを、お話したいと思います。

 

この記事を読んで、私が”分かりきった内容がないこと”を論じているなと感じた方は、 

 

既に色々なことをご存知な”幸運な方”です。 

 

その既にご存知のことを、迷走している周りの方々に伝えてあげてください。

 

この記事で話されることの多くは、既に私の以下の過去記事に記載されています。

こちらの記事は、フェイスブックにて190回以上シェアされました。

こちらの記事は、フェイスブックにて1600回以上シェアされました。

 

堀江さんの本「むだ死にしない技術」

むだ死にとは、

①予防できる手段があるにもかかわらず、

何の手も打たずに病気にかかって命を落としてしまうこと

②知識不足や怠慢から検診や治療をせずに健康を害し、

QOLを損なうこと

と定義が初めにあります。 

 

”むだ死に”・・なんて残酷なことを言うんだ!と思われる方もいるかもしれませんが、

堀江さんは、検診の大切さや

病気にかからないように予防をすることの啓蒙活動を行われているので、 

 

注意喚起のため、このように”強い言葉”を使用する必要があります。

反射的に怒らないようにしたいところです。

 

人間という生物は、あなたが思っているよりとても「複雑」

私はあえて自分のことを「むだ死にしかけた」と称しました。

ここで私のことを少しお話します。

ガン宣告を受けた時は検診にて腫瘍が見つかったのですが、 

 

当時、腫瘍による痛みはゼロでした。

痛みを基準に検診を受けていたら、今も私は腫瘍を抱えたままでしょう。 

 

堀江さんは、

症状がないから検診に行かないのは間違い

と綴られています。

堀江さんの仰っていることは正しいです。 

 

私は、ほぼ毎日運動をして、風邪もほとんどひかず、

無理なダイエットもしていませんでした。

では、なぜ私は20代でがんになったのでしょうか? 

答えがあると思いますか? 

 

医療知識ゼロのその辺にいる元がん患者が、日本全国に伝えたい大切な3つこと 

の一番初めに掲げましたが 

 

人間という生物は、あなたが思っているよりとても「複雑」なのです。 

 

豊かな社会には限界があります。

私達は、最新のテクノロジーに囲まれ、

科学者達は、ロボットを打ち上げ未知の宇宙を探検する世の中に生きています。

医療も日々進化をしており、がんに対しても「標準的な治療」が確立され、

それに加え最先端医療や、予防医療としてのワクチンもあります。

これらは、長年人間達が積み重ねてきた英知です。 

 

こんなにも充実した世界に生きていると、

生命もなんとかなると思ってしまう傾向にありますが、 

 

残念なことに医療に限界があるというよりも、

人間という生物の複雑さに、人間は現時点で対応しきれてはいません。

 

人間は、本当に謎が多い複雑な生物なのです。

 

それは、

科学に希望を持たないということではありません。 

多くの希望を持った研究者達が、

人間の幸せのために日々ご尽力されています。

 

私達は多種多様。その状況でも多くの人々に有効なのが、がんの場合:三大治療 

 

私達人間は、

いくら食べても太らない人、

足がとても早い人、

背が高い人、視力が生まれつき良い人等、

多種多様であり、

あなたの生まれた環境、育った環境、

あなたが日々口にしているもの、

睡眠時間・・等

全て一致する人なんてこの世にはいません。

因果関係が解明できないことが多いのは、

生物学的に全く同じ条件に揃っている人間は、この世に一人もいないからなのです。

 

その状況下でも、多くの人々に適用できるとされている、

つまり

臨床試験等を経た=科学的な根拠によって、確立されたのが、”治療”であり

がん治療であれば、3大標準治療(手術・抗がん剤・放射線)があります。

 

科学とは、人間達を出来るだけ「真実」に到達させるためのメッソドであり、

「現時点での正解」です。 

 

そのため、”科学を信じる”という表現自体間違っています。

科学は信じる・信じないではなく、「現時点で正解」です。

 

以前の私の記事に対して、

「標準治療を受けないでがんを治した人もいるのに、思い込みが酷い」

と批判されている方がいました。 

 

標準治療を受けなくとも、治った人がいる方も確かにいるかもしれませんが、

そのような奇跡を起こそうとして実際に起こすことが出来た人の

データーはありません。 

 

科学的根拠がないから、説明がつかないため”奇跡”という表現を使用します。 

 

この意見は「人間は個体によってかなりの差がある」が抜け落ちています。 

 

治療を拒否して亡くなった方も中にはいらっしゃいます。

私もネットを読んでいてそういう方もいるんだ・・と分かったことなので

そのデーターを出せと言われても、出せません。

ただ、標準治療を受けなくとも、

治った人がいる方も確かに存在する

という話の規模のレベルくらいに

治療を拒否した結果亡くなった方も確かにいらっしゃいます。

 

がん治療は、あそこの定食屋美味しいよ。といった、口コミレベルで選択するべきではない

この”奇跡を起こした人達”のとても厄介なのが、

統計とか、科学とかやや冷たい響きではなく

人間の体温を感じるいうパワーを持った 

個人の体験談として

「生存率0%から私が生き残った理由」とか

「私は◯◯したら完治しました!」

といったことを

力強い人生の感動メッセージと共に、

"人助け"という表向きのお面をつけ、

名声やお金もうけを企む方々が中にはいるということです。

勿論、沢山の人の役に立ちたいという

善意の心から活動されている方も 

いるかもしれませんが、

これも「人間は個体によってかなりの差がある」という大切な点が抜け落ちています。

そして、この善意は時に、人々の幸せを壊すことに繋がるのです。 

 

金儲けしか頭にない、倫理に欠けた企業達

①美容室が売る線虫キット

堀江さんの本の中に「100円という低コストのがん診断」として

1ミリメートルの線虫と呼ばれる生物を応用した、

がん診断の開発について紹介されていました。

調べてみると・・・

この線虫の検査キットは、美容室(畑違いにも程がある)で販売されています。

この研究を行っている九州大学大学院 理学研究院 のトップページに

注意! 線虫がん検査は現在研究段階であり、一般の方々は受けることができません。
インターネットや美容室で似た商品が出回っているようですが、
当研究室は一切関与しておりません。

 と警告をされています。 

 

これで、被害を受けたと騒ぐ人が出てきてしまえば、

せっかく、人々の幸せのために尽力されている九州大学の研究チームが

かなりの風評被害にあってしまいます。  

人間の幸せのための研究が、自己中心的な人々によって、潰される可能性があります。

 

②『インベスターZ』という漫画で”トンデモ医療知識”で展開される重粒子線治療

重粒子線治療の専門的なことに関しては、大場さんのこちらの記事で書かれています。

これは、ドラゴン桜で有名な三田紀房さんの漫画です。

※私は、この漫画を読んでいません。

多分堀江さんと思われる似顔絵の人物が、

重粒子線治療のいいところをバンバン発信して

世の中の人々に知ってもらう

そしてがんにかかったら

真っ先に「重粒子線治療をお願いします」

と患者さん自ら

医師に相談できるような環境にする

と話しているコマがあります。

これは、

ただでさえ忙しいのにも関わらず、

既に”バンバン広まっている”デマに

翻弄されて大変な思いをしている

現場の医師を、さらに煩わせる結果に繋がります。 

 

三田紀房さんのツイッターを見ると

既にその残念な状況が始まっています。

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また、

堀江さんがこのように話された現場を

私は見ていないので何とも言えないのですが、

恐らく、この漫画の作者である

三田さんが、堀江さんを利用している状況のように見えます。

言うまでもなく、堀江さんの風評被害に繋がっています。

そして、三田さんを利用しているのは、

重粒子線治療を「ビジネス商品」として

売る医師や、

彼らを従える経営者です。

 

この間違った情報は、

翻弄される患者さんをはじめとする

国民の皆さん

現場の医師、堀江さん、

そして批判され始めている三田さん全てに

不幸せな結果をもたらしています。

 

重粒子線治療に関しては、

大場さんのブログから引用すると

進歩した放射線治療を上回るほどの確固たるデータは、

国内外のどこにも存在しません。

だからこそ厚生労働省は、

重粒子線治療を「先進医療」というテスト治療として認める

代わりに客観性に耐えうるデータを収集しなさい、としているわけです。

 

①の線虫によるがん診断にしても

この重粒子線治療にしても

まだ、実用段階に至ってはいないのは、しっかりとした理由があるのです。

 

 ③健康増進法・医薬品医療機器等法に違反?の小林製薬とがん医療 

 

以前こちらの記事を書きました。フェイスブックにて200回以上シェアされています。

問題の広告

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小林製薬のシイタゲンという

製品のネット上の広告は

「がん ばる人へ届けたい」と ”がんばる”と平仮名にし、”がん(空欄)ばる”と表記、

つまり、”がん”と”ばる”の間にスペースを開けることで、

”がん”というキーワードを軸に、広告を出稿しています。

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そして、科学的根拠がないのにも関わらず、

抗がん剤を受けている患者さんを

想像させる写真と共に、広告を出しています。

※科学的根拠がないと断言しましたが、

それを証拠に、小林製薬自体も

あくまでもただの健康食品だよと

「栄養補助食品」としっかりパッケージに

印刷しています。

 

小林製薬の社長の小林章浩さんの

インスタグラムの写真に

この広告は、

企業倫理としていかがなものでしょうか?

とコメントしてみました。 

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小林製薬の真摯なご対応を期待しています。

 

また、がんビジネスを行う医療団体を例として、

こちらの広告は完全に、

医薬品医療機器等法に違反しています。 

この広告は一例に過ぎません。

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私の記事を読んで、

「ま〜た、綺麗ごと言ってる。社会は元からそういうもんなんだよ。笑」

と嘲笑する方達、

人間の正義の意思を舐めないで頂きたいです。 

 

科学的根拠なしに、白衣を着て医師を名乗る悪質なビジネスvs 正義の医師達 そして私達に出来ること

中には、

「奇跡ではなく◯◯という免疫治療・遺伝子治療があって、

この治療は科学的にも証明されている!」

と仰る方がいるのですが、

その”研究結果”の出処は、

偏った思考を実証するための公平性が全く無いものであったり

実証件数が少ない研究結果を元に 唱えられてる件が

私の確認した限りのネット上の全ての”がんビジネス”に当てはまりました。

様々な医師がいらっしゃいます。

歯切れの良い言葉ばかりを患者さんに話してお金儲けをする医師。

大学病院で日々患者さんの命を救う医師。

そして、現役の医師でありながら、ニセ科学・トンデモ医療と日々闘う

がん治療専門医  大場大

腫瘍内科医 勝俣範之

美容クリニックの院長 桑満おさむ

がいらっしゃいます。

 

専門外である一般人にとって頼りになってくるのが、

このような信頼のおける情報発信者達です。

 

私達に出来ることの一つは、

信頼のおける情報を探し、情報発信者をフォローすること だけではなく、

 例えば

どのような経歴を持ちどのような団体に属して、

発信しているか等ということを、

今一度、個人で確認してみるということが、本当に重要です。

 

「確認をするという訓練」は時間を要しますが、

自分の幸せのために行う自分への教育の一歩となります。 

 

例えば、上記で紹介した線虫によるがん診断の研究結果ですが、

こちらで

本研究成果は、米国オンライン科学誌PLOS ONEに掲載されました。

 とあります。

PLOS ONEは、こちらのページにて以下の通りPLOS ONEに掲載するための料金の提示をしています。

 

つまり宣伝のために料金を払って掲載するということもあるということです。

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ここでは、

九州大学の研究チームの研究結果が悪い

ということを論じているのではありません。

研究をするためにはお金がかかります。

宣伝をして賛同者を得るのは悪いことではありません。

PLUS ONEには、”良い研究結果”も

”未来につながらない研究結果”も

掲載されています。  

そして、PLUS ONEでは掲載するかしないかの審査もしっかり行われています。

その審査料が、掲載費なのです。

そして本にて情報を紹介した堀江さんに罪は全くありません。

正しく理解しないまま、

人命がかかっているのに、自分の利益だけを考えて

ビジネスを企む人々に罪があるのです。

ただ、このように情報の出処を確認することは、新たな視点を得ることに繋がります。 

 

デマが流れるインターネット上で、デマかどうか確認する方法は同じくインターネット上にもある。 

 

欧米ではもう既に抗がん剤治療なんて受けていない!

なんていうデマがネット上にあります。

試しに

Cancer Research UK や 

American Cancer Societyで、

”Chemotherapy”(抗がん剤)と

調べてみてください。

現在の Cancer Research UKのトップには

抗がん剤治療中の子どもの写真が掲載されています。

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そしてインスタグラムでも、#chemotherapyや

#cancersurvivor(がんサバイバー)

で検索すれば、

そこに沢山の写真と、顔が見える形で 体験談も綴られ、

中には抗がん剤治療を受け

15年以上経っているとプロフィールに書かれている方もいます。

英語を話さない方へ。

Google翻訳の精度が驚くほど進化しています。

以前、

DeNA事件【検索エンジンが資本主義に負けた】そして【日本語という言語がインターネット社会で負けた】ということ 

という記事で、

数々の学術情報・医療情報といった多くの科学研究の、共通言語として「英語」にて執筆されています。

それらを翻訳者により意訳することなく、

”公正に翻訳する”ことがどれだけ難しいかは、今の日本のインターネット社会をみても分かることです。

 と話しましたが、

Google翻訳の精度がとても上がっているため、

今後、多くの日本人の役に立ってくれることでしょう。

勿論全てが完璧に最初からこなせるわけではないですが、

Googleは、”人々を幸せにするため”に

正義の企業倫理を持ち、取り組まれています。

 

今始まったわけではない「弱者に厳しい社会」の厳しさは増しているが、悪の意見を唱えてはいけない。

以前こちらの

安楽死を賛成するのであれば

正しい思考で賛成しようという趣旨の記事にて

以下のようにお話しました。

高齢化社会と年金問題が叫ばれる中、

国にお金がないから安楽死を認めるべきだと話す人がいます。 

「障碍者は対価を生み出していない。→安楽死を認めるべきだ」

「高齢者は対価を生み出してない。十分生きたでしょ。→安楽死を認めるべきだ。」

「最期は他人に迷惑をかけず、逝くべき→安楽死を認めるべきだ。」

これから医療問題に関しては、ますます厳しくなる傾向にあります。

しかし、

上記のように

「”経済的に余裕がないから

安楽死に賛成という非倫理的発言”」と

対する

「”高齢者・難病者・障碍者の

生きる権利を守るために、安楽死には反対”」

という構図と、

安楽死を支持するべきロジックは全く違います。 

本の中で堀江さんは「75歳以上は延命治療を受けるべきではない」という意見に、

「極論」と話していらっしゃいます。

全くその通りだと思います。

 

”生きるための治療という勇気の選択”をしてほしい

過酷ながん治療を受け、肉体的や精神的に苦しみ

それでも亡くなってしまう方、

そしてその苦しんだ愛する人を

目の当たりにした家族は大きなトラウマを持ち

「こんな結果になるのであれば、

治療なんて受けるべきではなかった。」

「がん治療なんて人を苦しめるだけだ。」

と話します。

そのお気持ちは、正直よく分かります。

 

私の場合、痛みもなく、働いて日々運動もしていた時に

いきなりがん宣告を受けて、

腫瘍がそこにあると身体で理解できないまま

苦しい闘病生活を経て、

短期間で一気に体力を落としたので

頭が全く付いていきませんでした。

 

しかし、がん治療なんて人を苦しめるだけだ。

という、

”体温を持つ経験談”は

時に全体の幸せを壊すことがあります。

 

ネット上には、「最新がん治療」「痛くないがん治療」

といった歯切れの良い言葉が並べて、患者さん達の弱みにつけ込む

がんビジネスがあります。 

 

歯切れの良いことは言うつもりは、私はありません。

がんの標準治療、どれもかなり過酷です。

 

そして、過酷ながん治療を経た私の

医学統計的に見た長生きできる確率は

高いですが、

100%の保証はないです。

私も、何度泣いたことか分かりません。

しかし、今私は会社員として職場復帰し、

前を向いています。

 

がんの標準治療は、現時点で正解の治療です。

聞きたい言葉、歯切れの良いことばかりを聞くのではなく

どうか、

治療を受けるという 

”生きるための治療という勇気の選択” 

をされてください。 

 

騙される人を”バカ”と過小評価するのは考えが甘い

情報弱者・情報強者という言葉が出現して久しいですが、

情報強者とは、色々な最新の情報を知っている人のことを指すのではありません。

正しいフィルターを持ち情報を活用し、

自分の幸せに活かすことが出来る人が、

情報強者です。

「騙されるのはバカ!バカは弱者w」と

一蹴される方がいらっしゃいますが、

あの頭脳明晰な

スティーブ・ジョブズさんでさえも、

標準治療を初めは拒否し、代替治療を受け、

その後「後悔をしている」と話されました。

本当に悲しいことです。 

 

生きたいと必死なのに、死を側に感じ

絶望をする恐怖を体験したこともなく、

見下しバカにするのは、かなり甘い思考だと思います。

 

”その辺にいる一般人”の私が、

怪しい代替治療や健康食品を勧められても、取り入れるのではなく

ネットの医療情報に騙されることもなく、

治療を完了できたのは、

大学病院の素晴らしい医師達、冷静な夫、

そして、私の選択行動・思考プロセスという”運”のおかげです。 

 

ITは医療現場を救う

がんセンター・大学病院でがん患者さんと日々向き合う医師は

昼夜関係なく人の命を救うために治療をし、個人が納得するまで説明をし、

個人の訴え・感情にも耳を傾け

確立された標準治療を適応するだけではなく、

科学的根拠に伴った”オーダーメイド”の治療(薬の調節も含め)も行い、

最新の医療を学ぶために学会に出席し、日々学ばれています。

看護師達も、治療に間違いがないよう最新の注意を払い、

患者さんを一番身近に見守り、メンタルのケアも行いながら、

少しでもがん患者さん達が気持ちよく過ごせるように

日々工夫され実践されています。

そんな文字通り身を削って、人の命のために尽くされている方々を助けるのは

間違いなくテクノロジーです。

堀江さんは、

(医療業界は)

もっと他業界と同じように効率化、合理化されるべきことが

放置されている事実に危機感を持った。

 と話されています。

かなり同意出来ることです。 

 

実際、バーコドが印刷された”患者認識用リストバンド”は、

人的ミス防止としてその力を発揮しています。

そして、これからもITに精通されている堀江さんを初め、

様々なITのプロフェッショナル達は

最新のテクノロジーで、

苦労の連続である医療現場を助けていくことは

間違いないでしょう。

 

辛い思いをした過去を無視せず、辛かったと感じる自分を肯定することは、本当の意味で前を向ける一歩となる

堀江さんの話に

一つ私が付け加えることができるとすれば、

堀江さんの精神的なタフさは

常人ではないという点です。

ストレスをためたら、

すぐ忘れるようにする。

と堀江さんは話されていますが、

寝るだけで精神的に回復する人は僅かです。

誰だって嫌なことやトラウマがあったりしても、

忘れて前を向きたいと思うものです。

そして、美味しいもの食べた、褒められた、

仕事で成果をあげた、旅行に行った

といった”砂糖”で、

トラウマや嫌なことの表面を固めて、

自分の気持ちを誤魔化しながら前を向いている人が多いです。

私もそうでした。

しかし、

フラッシュバックするようなトラウマだけではなく、

小さなことであっても、辛かったことは、

確実にあなたの心を蝕んていき、

楽しいことという

”砂糖”で表面を、どんなに固めても、

あなたの抱えている辛いことは消えたりせず

いつか限界が来た時に、露呈します。

 

そうなる前に、ご自分の辛かった過去と

ぜひ向き合う時間を作ってください。

専門家の力を借りることとなり、お金もかかることもあるかもしれません。

 

向き合っている時こそは辛いかもしれませんが 

辛かった過去を無視するのではなく、

あなた自身がしっかり見つめてあげることで、 

 

過去の辛い思いをした、あなた自身のトラウマは、

未来のあなたを邪魔をすることなく

しっかり支えてくれる時が来るでしょう。

 

この考え方は、TEDトークにて

心理学者のガイ・ウィンチさんも下記のように話しています。

「ああ 落ち込んでるの? 気にするな そんなの気の持ちようさ」

と同じように、

脚を骨折した人に そんなこと言いますか?

「ああ 歩いてみろよ そんなの脚の持ちようさ」

ガイ・ウィンチ: 感情にも応急手当が必要な理由 TED.com 

 心の痛みを無視するのではなく、身体と同じようにしっかりと

治療をすることの大切さを語ってくれています。

さいごに

トンデモ医療に傾倒し、

論理的に考えることを辞めてしまった人や

自分の利権しか考えない人達 と

正しいことをしようとする人達の

醜い争いは、随分昔から始まっています。

 

 「何言ってんだ?コイツ・・」と思われるかもしれませんが・・・

私は個人的に、堀江さん、大場さんのお二人には対立することなく、

未来の医療現場のため、手を取り合って欲しいなぁなんて思っています。

いやいや、

けして上から目線で話しているのではなく、

お二人とも、頭脳が優れ、影響力も大きく

世の中を良くして行こうと日々取り組まれている方達だと思うからです。

 

そして、”その辺によくいる一般人”の私に今出来ることは

会社員として社会に参加しながら、国に税金を収め、

微力ながらもブログで発信することです。

そしてある意味孤独に闘う私に、

あなたの力(シェア)を貸してほしいです。

これは、あなたとあなたの大切な人の命に関わるお話だからです。

この辛い世の中、あなたは、一人じゃない。

皆で生きていきていましょう。

 

大場大さんの”本気”が詰まっている本↓

間違ったことを言っている訳ではない堀江貴文さんの医療の本↓

オススメの記事:

【問題はウェルクだけではない】医療知識ゼロのその辺にいる元がん患者が伝えたい「ネット上の医療デマ」の話 

 

医療知識ゼロのその辺にいる元がん患者が、日本全国に伝えたい大切な3つこと 

 

大切な人ががんと宣告された時、絶対やってはいけない3つのこと  

 

【冗談は製品名だけにして】企業倫理ナシの小林製薬【シイタゲン】 

 

死にたい・死んだほうがまし と考えたことがある、元がん患者が死生観・安楽死について話したいの。② 

 

年を取るのが怖い 老いゆくあなたへ 

 

年は明けたけれど、辛くて苦しい状況は変わらない人へ

2016年がとても良い年だった人もいれば、

2016年が人生で一番酷い年だった、私のような人もいます。

そして、2016年からどころではなくて、

ずっとずっと前から辛くて苦しい状況が続いている人もいて

今も苦しんでいる人もいれば、

2017年が、とても辛くて苦しい年となってしまう方もいることでしょう。

 

以前、下記の記事にて、「言われたくない綺麗事」として

一番目に掲げた言葉があります。

これだけ辛いことを経験したのだから、これからの人生は幸せでいっぱいだよ!

これは、フラれて落ち込んでいる人に「どんまいどんまい次いこ〜。いい人見つかるって!」という、

「根拠のない軽い励まし」に近いです。

そんな世の中甘くありません。

がんになっても、宝くじが当たるわけでも、素敵なプリンス・プリンセスが現れるわけではなく、「普通の人達」と同様に電気代や家賃のやりくりをし、さらに医療費代が加わり、

取るに足らない生活の悩みに加え、がん治療の後遺症に悩みながら、

ほとんどの人が病気を隠して自身の努力で、必死に幸せを掴んでいくのです。

病気になったからっていって、棚ぼた的に幸せになれるわけではありません。

患者にとって「世の中」はなにも変わらず、さらに余計な心配やストレスが加わる中でも、幸せを見つけていく。

それは、なにもしないで得るものではなく、その人の大変な努力によって得られるものなのです。

 

世の中ちっとも甘くない。

一つ悩みが片付いたと思ったら、次は違うことで悩む。

それどころか、持っていた悩みがもっと酷くなるときがある。

解決策なんてない時もある。

先が真っ暗で、光さえ感じないトンネルのような。

こんなに頑張っているのに、なんで報われないの?

年が明けたからって、状況なんて変わらないじゃない。

 

いつかは報われるとか、神様からの試練だとか

綺麗事なんて言わないで。

前を向こうって、ポジティブでいることを強制なんてしないで。

私の感情を否定しないで。

精神的に弱い人間って言わないで。

 

この記事を読んでくださっているあなたは、

日々、大変な努力をされていることと思います。

 

そんな努力をされてるあなたの心が、少しでも、穏やかであることを願っています。

2016年が辛い年だった人達へ。実は2016年は世界中で”最低”の年だった

2016年はとても良い年だったという人もいれば、

辛い年だった思う方もいることでしょう。

この記事を読んでくださっているあなたは、いかがでしたか。

この記事は、辛い年だった人達へのメッセージです。

 

2016年は、世界中で”歴史に残る酷い年”といわれています。

 

シリアの内戦が激化し、沢山の罪のない人々の命が奪われ

多くの人々が行き場を失い、国同士の政治の緊張が高まりました。

ドイツ・米国・イラク・フランス等様々な国で、合計190件近くのテロが発生しました。

ジカウイルスが、主に南米で流行し

北朝鮮では、大規模な核の実験が行われ

コロンビアとエジプトでは、飛行機が墜落し

インドネシアとイタリアで起きた地震では、多くの犠牲者をうみ、

日本でも、熊本地震が発生し、100人を超える方々が亡くなり、今も行き場を探している方達がいます。

衝撃だった相模原障碍者施設殺傷事件。罪のない人が19人も殺害されました。

多くの人々に愛された、デビッド・ボウイをはじめ、プリンス

先日では、スターウォーズのレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーが亡くなり、

リオ・オリンピックは、感動を生みながらも、色々な意味で問題が発生しました。

そして、イギリスのEU脱退・怒りのアメリカ人により、どちらに投票したとしても、醜い争いとなってしまったアメリカ大統領選挙。

アメリカ国内では、罪のない黒人が殺害され、人種間で憎しみと緊張が走りました。

 

レディ・ガガが、大統領選終了後、”LOVE TRUMS HATE" (愛は憎しみに勝る)と掲げていたのを思い出します。

※Buzz Feedは、ドナルド・トランプが大統領に当確した後、

「ねぇ、みんな〜!これで2016年は最低の年って確定しましたよ〜!」*1なんて記事を書いています。

 

書ききれないほどの、沢山の悲しい事件。

 

あまりにも皆が "2016, The Worst year"と話しているので、

メディアの一部が「そんな落ち込むこと言わないようにしようよ!史上最低じゃないよ!?」*2

という記事もでてきています。

 

私は、がんと宣告され、全身麻酔3回を伴う手術に、抗がん剤を6回投与し、臓器を失い、枝毛一本も無く手入れをしていた、髪の毛も失いました。

 

私と夫にとって2016年は人生で一番過酷であり、辛い年でした。

 

良いこともあった?

勿論、ありました。私は、死と向き合ったことで、

死生観を得ることができ、精神的にかなり成長しました。

 

だけれど、クソッタレ2016年!と中指立てる方が、

前を向けることもあると思うのです。

 

私の大好きなコメディアン・ジョンオリバーさんによる、

”F◯◯◯2016”を見て、私は泣きながら爆笑しました。

※ジョン・オリバーさんは、日本では、日本の”ゆるキャラ”をディスって

*3有名になりました。

 

※基本的に、皆いや〜今年、クソだね!! いやークソだね!!と話しているだけなので

英語を話さない方も、是非どうぞ。

ジョン・オリバーさんが、最後にスカッとすることをしてくれます。

クソッタレ!2016年!

こんにちわ!2017年!

 

p.s 眉毛が生えてきました。

*1:Guys, It’s Official, 2016 Is Actually The Worst Year

*2:Stop saying that 2016 was the ‘worst year’ - The Washington Post

*3:http://www.dailymotion.com/video/x2r1jql

死にたい・死んだほうがまし と考えたことがある、元がん患者が死生観・安楽死について話したいの。②

こんにちわ〜ハチドリちゃんです。先日の記事にて、”死生観と安楽死について”書き、私の敬愛するブロガーさんが、安楽死に関してしっかりと意見を伝えてくれました。

さらに考えを発展させることができたので、今回も重たいトピックではありますが、お話したいと思います。

 

前回の記事:死にたい・死んだほうがまし と考えたことがある、元がん患者が死生観・安楽死について話したいの。① 

 

記事にしてくれたブロガーさん:「四つ這いおとな」さん

「脳性麻痺」という先天性の障碍を抱えてるため直立歩行はできず、車椅子と”四つ這い”で移動しながら、日本のどこかでひっそりと暮らす、20代男性ライター

サムネイル画像がハチドリちゃんだ!

 

四つ這いおとなさんは、上記の記事内にて、「安楽死に賛成する人の方が多数派」と記載されていて、まずそこから考えていきます。

”「安楽死・尊厳死」についてしっかり考えた上で賛成している人” は多くはないと思う

かく言う私も、自分ががんにならなければ、死についてここまで考えることはありませんでした。

※そもそも、ブログ自体も、2016年に始めることはなかったです。

1年前の私に同じ質問をしても

「え?死ぬ時?痛いのだけはマジ勘弁ッス。え?痛くないの?じゃ、安楽死さんせー」というくらいのものだったかもしれない。

過去の私は、”考えていない”多くの人の象徴であるとは言い切れないですが、

死について質問された時、言葉に詰まる人の方が大多数ではないでしょうか。

 

四つ這いおとなさんは、記事内にて

多数派の意見と自分の意見が一致してるなら、別に叫ぶ必要はない。だって、自分の代弁者は、いっぱいいるんだから。

※上記の”多数派”は「安楽死賛成者」を指します。

 

と話しています。

この意見に対しての私の回答は、以下です。

私は、”少数派”=”安楽死反対者”の意見をしっかり受け止めたいという意思が前提にあります。

そして、議論をして勝った・負けたとするのでもなく、四つ這いおとなさんをはじめとする”少数派”の説得を目的とするのでもありません。

議論をすることで起こりうるリスクに恐れず、

出来れば、四つ這いおとなさんや、この記事を読んでくださる皆さんと一緒に、

”自分の幸せと社会の幸せ”について考えていきたいのです。

※また、私のブログを読んでくださるための方へのメッセージとしてここに記しますが、

私は、相手の意見を否定することはあったとしても、それは人格の否定を行っているわけではありません。

世界中で安楽死に賛成する人の割合は分からない

日本のネット上を見ていると、確かに賛成とする人が体感的に多く

データーでも、東京大学 死生学 応用倫理センター(2014年)によると、

「死が本当に近づき、苦痛に耐えられなくなった時に病気と闘うことを辞め、安楽死を選びたい」とする人の割合は70%であると示しています。*1

日本では、安楽死を賛成する人は多数派といえるかもしれません。

 

日本以外の国ではどうでしょうか。

例えば、宗教は日本より根強い傾向にある複雑な国:アメリカでは

50あるうちの5つの州のみ、合法化しており、

本当に賛成している人がどれほどいるのかは分かりません。

カナダでは2016年に安楽死は合法化され、スイスへの安楽死ツアーという言葉も聞くようになりましたが

190カ国以上の国・73億人以上の世界で、どれだけの人が賛成をしているのかはデーターとしてはありません。

しかし、先進国にて安楽死が議論されているという見解は間違いないでしょう。

私は辛い時、死にたい・死んだほうがマシだなんて、ちっとも思っていなかった

??おいおい・・タイトルに「死にたい・死んだほうがマシと考えたことがある」と書いてあるじゃないですか。

あえてタイトルは変えることはありませんが、

よくよく考えてみると、それは言い過ぎだったと思います。

私の当時の心情を振り返ってみると、

がん宣告後は「死にたい!死んだ方がマシ!」ではなく

「死にたくない!死にたくない!死にたくない!」でした。

がん治療後、色々なことを失ってしまった後も、

「死にたい!死んだ方がマシ!」ではなく

「消えたい!」「このまま眠って目を覚ましたくない!」でした。

そして、それは「愛する夫のために生きよう」という

なんとも重たい話にすり替わり、

それもいつしか柔らかく消え去りました。

2016年11月末に、がん治療を終えて”元がん患者”となり、

沢山の夢と希望を持ちフラフラと立ち上がり、下記の記事を書いた次第です。

自分でも気づきますが、この「ハチドリとブログについて」以降の、

記事の内容の傾向は、それ以前と異なるものとなっています。

 

また、がん宣告を受ける前も、「死にたい!死んだ方がマシ!」という経験を度々していますが、

それは、正しくは

「消えたい!」「このまま眠って目を覚ましたくない!」「誰か助けて!」

という絶望の悲鳴であり、

その時も、「死にたい!」ではなく、

現実から逃げたい、痛みを感じたくない、もうこれ以上辛い思いをしたくない

ただ「救われたい」という切実な願いでした。

多くの「死にたい・死んだ方がマシ」と考えている人は、これかもしれません。

 

そして、確かに私は手術後、「殺してー!!」とICUの個室内で叫びました。

 

それは、”安定している今の私の精神でさえ、蝕ばれるほどの酷い痛み”に対する、

心からの悲鳴であり

四つ這いおとなさんも、

心がいちばん弱りきったときに「ラクになる薬」を渡されてたら、もしかしたらとっさに飲んでしまってたかもしれない。

と書いていますが、

私も「ラクになる薬」を当時渡されていたら、飲んでいたことでしょう。

しかし、それは、痛みから解放されたいというその一心であって

やはり「死にたい」とは違います。

 

忘れてはいけないのが、安楽死を望んでいる人も、本当は死にたくないのです。

 

”死の瞬間”に対して優劣はない

苦しみぬき、最期の一呼吸後の”死の瞬間”。

呼吸が止まって回復が見込めないと判断されて延命装置を外された後の”死の瞬間”。

安楽死を選び、薬を投与された後の”死の瞬間”。

それらの死の瞬間に、優劣の差はありません。

そして、前回の記事でも書きましたが、どの人もそれまでに懸命な努力をしているため

その決断や”死の過程”にも優劣の差はありません。

 

四つ這いおとなさんは、

僕は、最期まで生き抜いた自分が、いよいよの今際の際になにを言うのかを聴いてみたい

と話しています。

 

私の、死に対して好奇心を持ち、”信じたい”と思う願いと、

安楽死を支持する理由は別物です。

勿論、”体験レポ”なんてありませんし、人間の最期は”想像”でしかなく、”エビデンス”がないため、

安楽死でさえも幻想かもしれないと、時には思う私の回答は

「そこまで死に対しては期待できない。」という淡白なものとなります。

そして、どのように死ぬかを選択することは、どのように生きるかを選択すること。

押し付ける気持ちは全くありません。

だからこそ、安楽死の選択を支持したいのです。

しかし、四つ這いおとなさんを始めとする

「安楽死」を支持しない人の意見の理由は、”わかります”

人間の多くは「治療方法・延命方法」がある限り、生の可能性にかける。それは、”尊厳を保つ”という、綺麗な言葉で線を引けるものではない。

がん宣告を過去に受け、治療を受け終わった私は、

この先、生き続けることができるチャンスは医学的にも大いにあります。

 

そう、私のように「治療方法・延命方法」があり、

現実的な話として”お金”がある限り、

逃げたい!誰か助けて!と悲鳴をあげながら、生の可能性にかける人が大多数です。

 

しかし、例えば

「”治療”を起因とし、死に至る危険性は医学的に高く、

それでも治療を受けなければ病状が容赦なく進行し、

短期間で死に至る可能性が高い場合、

”その治療”に命をかけることができるか。」

という質問に対しては、私は回答をすることは出来ません。

言うまでもなく、死に至る危険性が高い治療の場合、

”その治療”後の容態・後遺症も壮絶です。

 

答えられない私がいる一方、

その”命がけのギャンブル”に歯を食いしばり、

結論を出した人達が現に沢山いるのです。

そして、

チューブにまみれたり、24時間延命治療の装置をつけながらでも

文字通り”必死”に生きている人はこの世界に沢山いて、

その人達にも、しっかり明日という未来があります。

「強制的延命」:その段階でも、生の可能性があるため、”尊厳死”でさえ、積極的な”自殺幇助”となる可能性がある

尊厳死。

自力の呼吸が止まり、意識が無くなった後も、誰かがボタンを押さなければいけません。

そのような結末になった場合、ボタンを押してくださいという意思表明をするのは、

出来る場合は本人。出来ない場合は家族になります。

そして、ボタンを押したり、栄養剤を取り外すのは医療関係者達。

そこに、底知れない悲しみがあります。

悲しみとは別に、そのボタンを押すという行為を考えてみましょう。

「安楽死によって死期を早める」ということは、

選択であり、”行為を行うことの行為”です。

そして、同じく「これ以上の延命を行わないことで死期を早める」ということは、

それも選択であり”行為を行わないということの行為”なのです。*2

ここまで突き詰めると、

消極的安楽死=尊厳死を消極的とするか?問うと、言葉に詰まります。

 迷惑をかけたくないから「尊厳死」を選びたいという人は、甘いと思う。そして、”人間の尊厳”なんて、脳が作り出した思い込みにしかすぎない。

ここで、瀬戸内寂聴さんの話をしたいです。

瀬戸内さんの考え方の多くは、私の考えとは全く合わないことが多いです。

2014年9月に出版された、堀江貴文さんと瀬戸内さんの対談方式で綴られた

「死ぬってどういうことですか?」にて、

 

瀬戸内さんは、「やっぱり体が不自由になって誰かの世話にならなきゃならないじゃない。それイヤじゃない。ねぇ。」

と語ります。

一方、堀江さんは「あ、僕はそうでもないですけど。僕は人に迷惑をかけてでも生きていきたいですけど。」

と話されます。

それに対して、瀬戸内さんは、

「それは甘えてるね。私はイヤ。堀江さん、監獄でお年寄りのうんこなんか全部始末してたんだから偉いよ。」

「自分でトイレに行けなくなったらもう死んだほうがマシだと思うのね。」

と続けました。

 

上記を読んだ時に、

瀬戸内さんは、90年以上一体なにを見てきたんだろう?

それか、人の痛みが分からない想像力が欠けている人なのかもしれないと思いました。

 

瀬戸内さん、あなたの考えは甘い。

 

今、瀬戸内さんがどのように考えているかは分かりませんが、

その後、ご自身はがんの手術を受けられ

2016年の5月に出版された「老いも病も受け入れよう」にて

”手術は怖くない” 

”「人生の最後にまた一つ変わったことができる。」

ガンの手術を受けることに、わくわくしました。”

 

という箇所を読んで

変わらない方だな・・・と本屋でため息がでました。 

 

人間の人生・最期は人様々です。 

分かったふりではなく 

常に謙虚でありたいものです。

 

「他人様に迷惑をかけてんじゃない!」と子を叱り、人に頼る行為を恥とし

「迷惑をかけるくらいだったら潔く死にたい」を美徳として、”格好つけた”死生観と

実際の死の現場が、残酷な程に乖離があることを

直視しなければいけません。

”胸を張って生きる”とは、この乖離を

直視をすることも含まれているのではないでしょうか?

 

私にも、一時期自分の”尊厳”が守れない日々がありました。

病室で悔しさに何度涙し、絶望したことか分かりません。

 

しかし、”尊厳”という願いは人間の”脳・文化が作り出した”思い込み”です。

”この思い込みとの乖離”を直視した後は、

 

点滴棒にしがみつき、体につながれた何本もの管をつけながら、ベッドから起き上がりました。

 

それは、私にとって、その起き上がり方がどんなに不格好でも

”人間の尊厳”という思い込みとの乖離に絶望をすることを辞め、

胸を張ろうと前進した瞬間でもありました。

”国にお金がないから安楽死を導入すべき”という考え方は、「殺人」だ。それは許すべきではない「悪の意見」だ。

高齢化社会と年金問題が叫ばれる中、国にお金がないから安楽死を認めるべきだと話す人がいます。 

「障碍者は対価を生み出していない。→安楽死を認めるべきだ」

「高齢者は対価を生み出してない。十分生きたでしょ。→安楽死を認めるべきだ。」

「最期は他人に迷惑をかけず、逝くべき→安楽死を認めるべきだ。」

 

このような「悪の意見」を言う人は

 

ご自身も同じように老いたりすることを忘れているのではなく、

いつか、自分の身体が不自由となり、”同じようなこと”を言われる時が来るということを知っています。

 

いつか言われる自分への救済措置として、安楽死を認めるべきだと、叫ぶのです。

 

そのロジックで、安楽死に賛同するのは、間違っています。  

 

しかし、私は常に人間性あふれる正義の人間なのでしょうか。そしてあなたは? 

「弱者に厳しい社会」は今始まったことではない。そしてこれからますます厳しくなる傾向にある。

つい先日、私は車が何台も並ぶ大きな横断歩道にて、

渡っている途中で信号が赤に変わってしまい焦っていました。

 

私は、後ろで足を引きずりながら同じく焦っている女性に気づきました。

がん治療後で体力がなくなった私よりも、その方は歩くのがずっと遅かった。

私は、車は止まってくれるということを信じて、その方に「大丈夫ですか?」と声をかけました。

 

しかし、例えば、包丁を振り回しながら追いかける人が後ろにいれば、

私は声をかけることもなく、必死で逃げたと思います。

その方に、「どうか助かって欲しい」と心で願いながらも。

そこに私の”人間らしさ”があります。

これは、私がどんなに心の中では人間性のあることを考えていたとしても、「見捨てる」という行為なのです。

 

四つ這いおとなさんは、「見捨てられやすい人」であり、「見捨てられたくない人」そして「見捨てない人」です。

この四つ這いおとなさんが書いた上記の記事のタイトル。

「日本が死ぬ」時には、「僕は真っ先に死ぬ」と明言しています。

 

2016年7月26日に痛ましい事件が起きました。→これはたった5ヶ月前のことです。

”相模原障碍者施設殺傷事件”

これは、障碍者福祉施設で、”この容疑者”は、

重度の障害者は生きていても意味がなく、安楽死させたほうがいい。と、

世界の平和を願い、正義感を持って

19人を殺害し、26人に重軽傷を負わせました。

 

下記はこちらも四つ這いおとなさんによる

”相模原障碍者施設殺傷事件”についての記事です。

 

私は、これに対しての答えは、前回の記事

「私達の命の価値・私達が生きることの意味は、他の誰でもない私達自身が決めることです。」              

と話しており、その回答は揺るぎないのですが、

実際、死ねよ!と”刃物”の先を背中に向けられている人々に対して、 

私が 

「あなたの価値はあなたが、決めることだよ!だから、気にしないで☆」

なんて話しても

「ハチドリちゃん、あんた分かってない!! 綺麗事言うな!(怒)」と言われることでしょう。

 

また、”この容疑者”が、衆議院議長に宛てた手紙はインターネット上に上がっており

支離滅裂と言われていますが、

”この容疑者”の、かなりの苦しみが伝わってくる内容です。

けして、内容を支持しているわけではありませんよ。

”この容疑者”という怪物は、私達の社会が生み出したものだと感じます。

 

この記事の初めの方で私は、

四つ這いおとなさんを始めとする

「安楽死」を支持しない人の意見の理由は、”わかります”

と書きましたが、

”わかります”と、””で囲っているのは、

私は刃物を向けられていないから本当の意味で分かっていないからです。

 

でもね、私、”わかるよ。”

 

2016年、怒りの米国人達が、ドナルド・トランプを大統領にするという

”普通ではない”行動に出ました。

税財源からまかなうことで、原則医療費が無料であるイギリスは、

ここまで聞くと天国のように聞こえますが、

国を持続させるために、現在大幅な改革プランが検討されています。

 

日本にも”痛みが伴う革命”が行われる可能性が高いです。

 

自分の身を守るために皆必死な状態になり、

相対的に”価値がない”と判断されたら死ぬことを余儀なくされる。

 

それを避けるために、社会が存在しているのですが、

その社会が機能しなくなる前にこれからどうしていけば良いのでしょう。

それは、これから皆さんと考えていきたいです。

「”経済的に余裕がないから安楽死に賛成という非倫理的発言”↔”高齢者・難病者・障碍者の生きる権利を守るために、安楽死には反対”」という構図と、安楽死を支持するべきロジックは全く違う。

自殺を発生させてしまう日本社会はとても悲しい。

経済的に余裕がない!だから安楽死には賛成!と”悪質なこと”を言わせている日本社会はとても悲しい。

沢山の人々が、未来に恐怖しなければいけない日本社会はとても悲しい。

そして、痛みを取り除くことができない”現代医療の限界”もとても悲しい。

人間の無力さを感じます。

 

しかし本来、安楽死という考え方自体はけして悪ではありません。

安楽死の考えは、最期を迎える人に対する出来る限りの”慈悲”であり、

私達の”人間性”から生まれた人間的な行動です。

そして、「相模原障碍者施設殺傷事件」は、曲がった”慈悲”でした。

人間の優しさから生まれた考え方が、非人間的な行動に使用されることは間違っています。

曲がったことを考える人々で埋め尽くされた社会にならないために、

綺麗事だと揶揄されても、自身の幸せ・社会の幸せを考えながら私は今日もここで声をあげます。

あなたは、一人じゃない。一緒にこの世の中を生きていきましょう。

*1:http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/55822/1/Horie_201404.pdf

*2:個人的に、ドイツにおける臨死介助および自殺幇助の権利が考えの発展に役に立ちました。PDFにて読むことができます。http://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/05/A04408055-00-0470302051.pdf

死にたい・死んだほうがまし と考えたことがある、元がん患者が死生観・安楽死について話したいの。①

こんにちわ〜。ハチドリちゃんです。本日はトピックとしてはかなり重たいですが、「死生観」についてしっかり考えていきたいと思っています。

死にたい・死んだ方がましと思う人達は沢山いる

とても、生きづらい世の中ですね。私は、がんと宣告される前、何度も「死にたい」「死んだほうがまし」と思ったことがあります。

自分にとって大切な人と長い距離を感じた時。

人から大きな裏切りを受けた時。

ちっとも、努力が報われない時。

過去のトラウマが自分を食べつくしてしまう感覚に陥った時。

がん宣告後も、そう思う時が多くありました。

狂ってしまうくらい身体が痛い時。

動けなくて天井だけを見つめている時。

人に沢山の迷惑をかけている自分が、嫌になった時。

因果応報という言葉に、苦しめられた時。

 

今は、幸いなことにそんな気持ちではありません。

しかし、この世の中に多くの人が「死にたい」「死んだほうがまし」と思っています。

そして実際自殺をしていまう人達、

飛び込み事故で電車が止まり「またかよ!人に迷惑かけるな!」と怒る人達、

ネット上で誹謗中傷をする人達、

そんな世の中を見て心が痛みます。

がん宣告を受けたからといって「命の大切さ」を説教するつもりはありません。

個人の”苦しさの度合い”は、他人の苦しさと比べて決まるものではなく、

自分の過去の経験を踏まえて決まるものです。

 

死が怖い理由

自分の最期を考えると、とても不思議な気持ちになります。

まず、自分という存在がこの世から無くなってしまうのが怖いのです。

あと100年も経てば、私を覚えている人はもう誰もいません。

私が大切にしてきた物は、どこへ行くのだろう。無残に捨てられて燃やされるだろう。

そうやって、私が愛する物達の行方を考えると、とても悲しいです。

私は病気で子どもを産めないから、私の”肉体の一部”をこの世に”残す”こともできない。

そして、私という存在がいなくなっても、世界は平常運転で周り続ける。

「自分は特別でもなんでもない」という悔しさに思い知らされます。

 

しかし、この長い長い歴史を考えると、私たち個人はそもそも特別な存在ではありません。

過去に偉業を成し遂げた人にも、お金持ちにも必ず死は訪れます。

だけれど、どこか自分は違う。そう思いたい自分を見つけるのです。

そして、「死の過程」がとても怖いです。

死ぬという行為は一瞬。しかし、そこまでに行き着く直前までの過程が恐ろしいです。

身体も動かせないような、想像を絶する痛みで苦しむのではないか。

外科手術3回と抗がん剤治療を経験した私は、あれ以上の痛みは想像できないからこそ、考えるだけで、私の目は大きく開き、背中に嫌な感覚を覚えます。

この恐怖を乗り越えることは、私は無いと思います。

正直なところ、「死ぬのは怖くない」と話す人は、どこか不健全な感じがするのです。それは、「がんになって幸せです!」と言い張る人々のように、

強い承認欲求や、触れると崩れてしまうような、脆さを感じるからです。

 

命は大切。後悔しないように今を大切に生きようとか、色々聞かされてうんざりして。

バチが当たる。天罰だという言葉に苦しんで。

自分自身が、”明日は我が身”という戒めの道具と化したことに、悲しくなって。

 

生きたくないと思わせているのは、なにが原因なのだろう? 

身体の痛み? 心の痛み?

社会が作り上げた”幸せの幻想”と現実のギャップによる苦しみ?

あなたが、経験したことがあるように、私も経験してきたのです。

 

生き延びた私・今日死んでいく人に対する ”理由”なんてない

「私はがんに勝った!私は勝者!」なんてことは、私は言うつもりはないです。

私が、がんサバイバーである点は変わらないです。

そして、私の戦う姿勢と強い意思は、私自身も誇りに思います。

だけれども、「私は運がよかった」と言うことも傲慢で残酷な態度だと感じています。

では、本日亡くなった人は、負けたの?運が悪いの?

この世の中には、何人も病気で亡くなっている人がいます。

その中で「私は、勝者です。」なんて顔をすることは、傲慢な態度であると思います。

元気であること・健康であることは、”褒められたこと”であって、 

太ったり、風邪をよくひいたりすると、自己管理がなっていない自堕落な人とレッテルを貼られてしまう。

痛みに歯を食いしばる人。自宅で天井を見つめている人。見つめることも出来ない人。

そんな人達を見て、惨めだなぁ。こうはなりたくないなぁ。と、思うのは自由なのですが、どうしても、見下してしまいがちなのです。

私は、闘病を乗り越えたからといって、乗り越えれなかった人より優れているわけではない。

”健康の維持”・・そこに間違いなく努力は発生しているけれど

人間は機械のように、ここを◯◯したからこうなったといった、単純なものではなくもっと複合的であり、説明できないものです。 

なにか私が生かされてる理由がある気がする。 

そう自身を特別に扱うことは、時には必要な事かもしれません。 

そして、私達はなにか理由が無ければ、落ち着かない気持ちになります。

しかし、 実は理由なんてはないのです。

 

”綺麗な死”が待ち受けていると期待する私達

「最期は美しく人生の幕を閉じたいと思う。」

「他人に迷惑をかけない。立つ鳥後を濁さず。」

こんな表面的で格好いい言葉を使って、自分の” 理想の死に方という幻想”を

知ったような顔で語る人々がいます。

そもそも、”耐え難い苦痛”を、計測することはできず、個人によって多種多様です。

多くの人がその”耐え難い苦痛”を感じ、その家族が”この世の地獄”を経験して、 

"人生の幕を美しく閉じる"とは、かけ離れた、「人間の現実」を経験しています。

誰でも自分の死は、”そうではない”ことをどこか期待してしまう。

今の日本の医療には限界があり、 想像を絶する酷い痛みを取り除けることができないことの方が多いにも関わらず。

 

自死から目をそらさず、「最期の一呼吸まで、懸命に生きることを含めて生」とストイックになる必要なんてないと思う

結論から話すと、私は安楽死に賛成しています。

なぜなら、単純に最期までストイックになる必要はないと思っているからです。

まず、”尊厳死”と”安楽死”に大きな違いがあるのが現状としてあります。

そして、日本人の多くが”安楽死”に対して大きく誤解しており、

安楽死が認められている国にて、どのような審査の過程(条件)があるかが知らない人達ばかりが、安楽死について気軽にコメントをしています。

また、安楽死は「自殺だ!」と怒ったように言う人がいます。

自殺はとても悲しいことです。

そして、安楽死は確かに自殺です。

生きのびる・死ぬということを、勝ち負けに例えるのは嫌いですが、あえて使うと

人間誰しも最期は”負ける”のです。

想像を絶する痛みを経験して、それでも最期は”負ける”という、結論を変える事ができないことが分かっている場合、

その来るであろう痛みに怯え、抗うことを辞めて自殺=死期を早めることがそんなに、情けない・愚か・臆病なことだとは思えません。

批判を覚悟で書きますが、苦しむ人達の前で「ご先祖様に失礼」は、非論理的思考による発言です。

 

あなたの命・生きることへの価値を決められるのは、あなた自身だけ

苦しんで最期の一呼吸まで生きた人も、

”安楽死”という方法でこの世から去ることを選んだ人も、

懸命に努力をされたと思います。

そこに優劣はありません。

その苦しみは、その人とその家族だけにしか分からないものであり、けして外野が口出しできるものではないと思うのです。

そして私達の命の価値・私達が生きることの意味は、他の誰でもない私達自身が決めることです。

また、お金というものは本当に厄介なもので、収入=その”人間の命の価値”として扱い、今まで私達は多くの過ちを犯してきました。

そのため、綺麗事では済まされない現実が私達の目の前にあります。

”あんな状態”なのに生きている。”社会のお荷物” ”税金の無駄使い”

そんな心のない言葉・余裕のない言葉を人々に言わせてしまう、”社会”は、皆が感じているように、ますます悪い方向に進む可能性が高いです。

 だけれど、あなたの価値はあなたが決めるの。

そして、安楽死さえも、”幻想”かもしれない。

そう。私にとって、”死”はとても恐ろしい。

そんな私の気持ちを、私の大好きなアーティストMoby(モビー)の”The Day"(最期の日)という曲と、美しい映像が恐怖から救ってくれました。

私はいつここから離れるだろう

彼女はベッドルームに座って悲しんでいる

何度も唱える祈りがそこにある

彼女はもう痛みで起き上がることはできない

これらの薬の”組み合わせ”が

彼女を絶望させ迷子にしてしまった

彼女は”これからの道”がいくつあるか数えたい

しかし彼女はもう数えることは、もう出来ない

 

私はここにいるだろう

すべての痛みが、消えるまで

私はいつもここにいるよ

このすべての光が、ちょうど”その日”を殺すまで

 

私は、私の言葉を押し殺してしまった。

私は千回試みたことがあった

希望の光がとても輝いているとき

神のように虐殺された。

私は私の人生を毒で犯そうとしていた

いつもナイフの先端の夢見て

彼女はいつも後ろを見ていた

そして、私は10分もここに座って待っているから

 

私はここにいるだろう

すべての痛みが、消えるまで

私はいつもここにいるよ

このすべての光が、ちょうど”その日”を殺すまで

  

だから、頑張って。

頑張って。

もう一回試してみて。                     

※意訳:ハチドリ

最後に、私が大好きな、四つ這いおとなさんのブログを紹介します。

彼は、「脳性麻痺」という先天性の障碍を抱えてるため直立歩行はできず、車椅子と”四つ這い”で移動しながら、日本のどこかでひっそりと暮らす、20代男性ライターです。

確かな力強い言葉と、優しい言葉で埋め尽くされており、毛布のような温かみのあるブログです。

この記事は、四つ這いおとなさんの以下の2つの記事に対する私の答えでもあります。

プライベートメッセージで、安楽死について話した時に”、四つ這いおとなさんから、「死の甘美さ」よりも、「生の可能性」に懸けたい。 ”という力強い言葉をもらいました。

死の恐ろしさ・死にたくないという恐怖と気持ち、
一方で、現実の苦しさから解放を可能とする、甘美で威厳のある”死”の間に葛藤して
”地獄の底を舐めるような努力”を他人に隠しながら、社会の厳しさに心を痛めて、
それでも人の暖かさに触れ、自分が社会に対して微力でも影響を与え、生きていくということが
本当の”幸せ”、そして”生の可能性”だと、私は思います。

”パート2”続編→死にたい・死んだほうがまし と考えたことがある、元がん患者が死生観・安楽死について話したいの。② 

DeNA事件【検索エンジンが資本主義に負けた】そして【日本語という言語がインターネット社会で負けた】ということ

こんにちわ。ハチドリちゃんは、元若年性がん患者です。先日の私の記事

【問題はウェルクだけではない】医療知識ゼロのその辺にいる元がん患者が伝えたい「ネット上の医療デマ」

を様々な人がシェアをしてくださいました。

ネット上の医療デマで苦しんでいる人は確かに存在しており、少しでも人々のためになればと思い綴っています。

さて、はてなブログ上でも話題の記事("mediologic"を運営されている、タカヒロノリヒコさんの記事)を読みました。

今回私は、この記事に1点「日本語という言語がインターネット社会で負けた」ということを、付け加えたいと思っています。

※ちょっと待って!日本”ディスり”じゃないよ!

Google自体はとても頑張っている

このお話をするため、(がん)"Cancer"とGoogle USAにて検索をしてみます。

その結果のスクリーンショットはこちらです↓

f:id:Hachidori:20161212120140p:plain

 

まず、赤い矢印が示しているのナレッジグラフ*1カードですが、これは、医療情報のナレッジグラフ(もちろん、編集不可)です。

の枠は、歴史・高い信頼性・高い実績がある、がんに関する研究組織「フレッド・ハッチンソン癌研究センター」の広告です。

の枠は、”アメリカ国立衛生研究所”による、患者のためのサイト”MEDLINE”と医療ポータルを経営するWebMDの記事です。

の枠は、非営利団体である、アメリカがん協会のサイトです。

 

Googleの公式ブログ上の2015年2月10日の記事に、「基礎的な医療情報のまとめをGoogleの検索結果上に、ナレッジグラフとして表示できるようにしたよ〜☆」と発表しています。

 

以下、この記事の重要なことを抜粋して、訳しました。

 

①”Googleでよくある健康状態を検索すると、ナレッジグラフから関連する医療情報を手に入れることができるようになります。”*2

 

②あなたが、Googleの検索結果から基本的な情報を入手した後は、ウェブ上にある、他のサイトでより多くの調査を行うこと、医師に相談するための質問をすることが、もっと簡単に行うことができます。*3

 

→ここ重要だと思います。

Googleから基本的な情報ゲットできる。それによって、あなたの”調べる”という労力が減ると記載してあります。

つまり、Google本体から得られる情報は基本的なことのみだよということです。

 

③これらの医師、ウェブ上にある信用性の高い医療情報源から収集された、現実的な臨床知識を代表する、すべての事実と情報の正確さは、Googleとメイヨー・クリニックの医師が確認済です。*4

→”収集された情報”とのみ記載するのではなく、”収集された事実と情報”と記載するGoogle側の誇り高い姿勢を感じます。

→そして、その事実と情報は、Googleのメディカルチームの医師だけではなく、メイヨー・クリニックの医師によって、監修されています。

※メイヨー・クリニックとは、”世界的に最も優れている医療機関の一つ”といわれる、高いブランドを持つ医療機関。メイヨー・クリニックも、Googleとタッグを組んだヨ☆という記事を発行しています。*5

 

例えば、医療情報のナレッジグラフカード上の、”肺がん”をクリックしてみます。

すると以下のスクリーンショットのように、

ビジュアルで身体のどこの病気かがひと目で分かるだけではなく、症状、治療方法、統計、リソースの明記、関連性のある病気名が明記されています。

 

f:id:Hachidori:20161212121454p:plain

 

そうです。Googleは、根底にある行動規範:”Do the Right Thing" =”正しいことをやる”を忘れることなく、本当に頑張っているのです。

ちょっとまって・・・でも、

” ウェブ上にある信用性の高い医療情報源”が、日本では見当たらない?という点です。

正しくは、下のタイトルとなります。

信用性が高く、”痒いところに手が届く” 医療情報が日本にない

DeNAの南場さんが、記者会見で以下の通り話されました。

基本的には、家族の闘病が始まった時から、インターネット情報を徹底的に調べまして、インターネット上の情報がそれほど役に立たないとか、その先にガンに効くキノコとかそういう話が出てきて、信頼できないと2011年時点で思いまして、私の情報収集は論文と専門家からのレクチャーを受けるということを中心にしていました。

引用元:DeNA南場氏「経営者として非常に不覚だった」WELQの記事内容とネット上の医療情報について回答 - ログミー

この点についてだけは、私は南場さんと手を取り合って、「だよねぇ!?」って”女子トーク”しながら、キャピれる自信があります。

私もですねぇ・・・ガン宣告を受けてからというものの、血眼になってインターネットで調べたものです。

患者さんの闘病ブログの「今までありがとうございました」という”最終更新”に震え、

がんサバイバーの、「”余命◯ヶ月”や”生存率0%”の私が試した◯◯の方法」として、

力強い人生の感動メッセージと共に、"人助け"という表向きのお面をつけ、名声やお金もうけを企む方々や、

南場さんと同じく、ガンに効くキノコに怒りを覚えました。→【冗談は製品名だけにして】【シイタゲン】企業倫理を問うべく、小林製薬のカスタマーセンターに問い合わせてみた 

 

そんな私が、”運良く”行き着いたのは、”リソースがしっかりしている”、つまり科学的な根拠がある海外のウェブサイトです。

日本でしっかりしているウェブサイトがないわけではないのです。

以前のわたしのこちらの記事→医療知識ゼロのその辺にいる元がん患者が、日本全国に伝えたい大切な3つこと 

でも以下の通りお話しましたが、

信用出来るがんの情報サイトはあります。

逆に言えば情報元がしっかりしている信用できるサイトの運営元が、SEO対策をしっかりする必要があるのかもしれません。

 日本の信用できるサイトの運営者が、SEO対策をしっかりするという点にて、

マンパワーが明らかに足りていない点は、今回置いておいて

日本の信用できるサイトでは、痒いところに手が全く届かなかったのです。

アメリカでは、こちらの記事によると、

”internet-assisted hypochondriacs”がおきているとあります。*6

これは、”インターネット上の医療情報をみて、「え!?私も◯◯が痛いから・・私は、もしかしたら、◯◯という大病かも・・・」という

度を越した心配性” になってしまうということで、

この人々の心理を利用して、デタラメを書きお金設けをしていたのが、ウェルクやMery等のキューレーションサイトであり、

私のこちらの記事でも紹介した、リソースを確認せず、”がんに効く”という記事を発行した、マカロニ”や、雑な記事ばかりの、”いしゃまち”、”がんになったら読むマガジン”等、

上記だけではなく、多くの情報サイトが、信用できません。

 

現役医学生の方が

個人的には医療キュレーションサイトなんてなくて良く、しっかりとした医療サイト(病院、学会、家庭の医学など)で分かりやすいページへの疾患や病態別のリンク集があれば十分だし、よっぽど有用だと思っています。

引用元:医療キュレーションメディアについて - 動き出した象を追いかけて

 と仰っていて、大方同意なのですが、”しっかりした医療サイト”は、痒いところまでには、手がとどかないのですよ。

そして、”情弱”にとっては、しっかりした医療サイトを読むのはキツイことなのです。

日本語が完全に障壁となっている

ご存知の通り多くの学術論文は、英語。

そして世界の共通語は残念ながら、日本語ではなく英語です。

そのため、どうしても私達日本人は、この日本語という言語が、障壁となってしまいます。

「英語なんて、使わなくてもやっていけるしw」とたまにネット上でもみますが

極論ですが、確かに”個人レベル”では、その通り。やっていけます。

やっていけるくらい、日本は素晴らしい力を持つしっかりとした国なのです。

 

アメリカがん協会のページにアクセスすると、スペイン語の横に

"Asian & Pacific Languages"  = ”アジア太平洋の言語”と選択できます。

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それを押すと、左上からベンガル語、韓国語、中国語、ウルドゥー語、ヒンディー語、ベトナム語と言語を選択できます。

f:id:Hachidori:20161212133351p:plain

ここに、「日本語」という言語の選択はありません。

日本の現在のがんに関する医療は、

アメリカの力がなくともやっていけるくらい、素晴らしい力をもっていることの証明とも言えるかもしれません。

 

数々の学術情報・医療情報の共通言語は、多くの科学研究は、英語にて執筆されています。 

それらを翻訳者により意訳することなく、

”公正に翻訳する”ことがどれだけ難しいかは、今の日本のインターネット社会をみても分かることです。

悪質な広告に対し、私達ができること

Googleに”Googleポリシー”に違反している広告を通報する

Googleだって、完璧ではありません。それを彼らも理解しており、

Google のポリシーに違反する広告が審査前に掲載されることのないよう配慮しておりますが、広告によっては審査前に Google に掲載される場合もございます。

とあります。

こちらからGoogleに、Google のポリシーに違反する広告を通報することができます。

Googleの広告に関するポリシーはこちら

悪質な広告を見かけたら、通報したいところです。

あやふやなものは、”ネット界の賢い人達”に聞いてみても良いかも(迷惑・・・)しれないですし、

そもそもGoogleが判断してくれることでしょう。

ブロガー達が出来ること

”世界的に最も優れている医療機関の一つ”と言われている、メイヨー・クリニックのサイトを見ていると、広告が出現します。

その広告の下には、

訳すと「メイヨー・クリニックは、いかなる企業や製品を支持していません。広告収入は、私達の"営利目的ではないという使命”を支えています。」 とあります。

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※楽天市場の広告がこのメイヨー・クリニックに出現することや、楽天市場は全く悪くありません。

私のブログも、アフィリエイトを導入しています。

抗がん剤によって脱毛が始まる人々に、

安くて良いウィッグを紹介するための広告枠を、別途作成していますが、

それ以外には、

「ここに表示される広告に関しては無関係です。広告収入は、ドメイン維持費代に割り当てられます。」

と追記しようと思います。

※「がん」で検索して、私のブログに行き着いた人達に

フコイダンやら、キノコやらの、悪質な”最新医療”の広告やらを見せないように

見つけたら、ブロック設定していますが、限界・・・。

私達の”正しいことをしようとする思い”は負けない

「検索エンジンが資本主義に負けた」にて、タカヒロノリヒコさんは、使用されている「資本主義」を、以下のように定義されています。

ここでいう「資本主義」というのは一般的かつ皮肉的な意味であって、行き過ぎた経済優先・企業優先・売上優先?株価優先による金儲け主義といった意味合いを含む

しかし、「私達の”正しいことをしようとする思い」

(Googleの行動規範を借りれば、”Do the Right Thing")

私達のその思い、信念は負けません。

 

”必死”な情報弱者が搾取される社会であってはいけない。

その正しい心・信念が折れてしまう社会であってはいけない。

私達の「日本」をそんな国にしてはいけないのです。

”情弱”なあなたは、一人じゃない。一緒にこの社会を生きていきましょう。 

オススメ!の記事

*1:簡単にいうと、Google独自の”知識のデーターベース”

*2:訳した部分:when you ask Google about common health conditions, you’ll start getting relevant medical facts right up front from the Knowledge Graph.

*3:訳した部分:Once you get this basic info from Google, you should find it easier to do more research on other sites around the web, or know what questions to ask your doctor.

*4:訳した部分:All of the gathered facts represent real-life clinical knowledge from these doctors and high-quality medical sources across the web, and the information has been checked by medical doctors at Google and the Mayo Clinic for accuracy.

*5:Google Works With Mayo Clinic to Share Health Knowledge - Giving to Mayo Clinic

*6:抜粋して訳した箇所:assisted hypochondriacs have been around for years now